【20年の念願達成】31歳無職ぼっち歴女が関ケ原古戦場巡りを徒歩制覇した話【第三回】

ぼっち旅行記

こちらの記事の続きです。

前回に引き続き関ケ原観光ガイド様HPより【関ケ原の戦い 史跡巡り】パンフレットを元に見出しを作成しております。

⑬島津義弘陣跡 AM10:25

名残惜しく笹尾山を跡に後にし、戦国を代表する猛将、島津義弘陣跡へ。

⑫笹尾山交流館は今回は見送りです。

途中にあった歴史を感じさせる案内石。道石というのでしょうか?観光地としての関ケ原の歴史を感じさせます。

いつからあるのかな。江戸時代に色々関ケ原の今のイメージが作り上げられた訳だけど、昔の人も観光に来たのだろか

着きました!群を抜いて立派な石碑が立っています。

薩摩の人々の熱狂的な支持が伝わる石碑。猛将と名高いが、赤ちゃんが生まれたら自分の家に呼んで抱いてあげたとか、人情味溢れたエピソードも多い。

薩摩十字を見るだけで心が震える。

心を震わせていた為か、お得意のバックアングル。文字が見えん

ここは西軍の中心部。

名高い敵中突破ですが、実際立ってみると敵がひしめく拓けた大地に向かっていくのは狂気の沙汰としか思えません。三成と同じ山への逃走ルートの方が近いのに。薩摩武士は理屈じゃないんだぜ。

色々ある陣跡。鹿児島の日置市で青少年で組織された関ケ原戦跡踏破隊が組織され、関ケ原~大阪間の島津勢退路を踏襲しているんだとか

写真はないですが、松尾山の陣地はたった徒歩10分。旗がはためくのが見える距離。

さぞ三成はやきもきしながら眼前の動かない薩摩軍を見ていたことでしょう。

怒らせてはいけない人を怒らせる三成。有能なのに人格が…そんなところも魅力に感じてくれた人もいたのでしょうけど。
義弘は元々東軍につきたかったらしいですけどね。

かっこいいなあ。(感動で語彙が消失)

翻る薩摩十字にうっとり。こののぼりのフォントがあったらほしい

⑬私的感動ポイント

・島津かっこいい(語彙消失2回目)

・今も受け継がれる義弘への尊敬の念を看板や石碑等に至る所に感じられる場所。薩摩隼人達は偉大なる過去の主君への尊慕を胸に維新へのエネルギーを蓄えていたのかしら

・ここから敵中突破の伝説が始まる。ぜひスタートラインから鳥頭坂方面を眺めておきたい

スポット情報【関ケ原観光ガイドHPより】

島津義弘陣跡

⑭開戦地 AM10:45

さあ、来ましたよ。関ケ原合戦始まりの場所。

慶弔5年9月15日(西暦1600年10月21日)

東軍の松平・井伊隊が西軍の宇喜多隊に鉄砲を射掛けたことで天下分け目の戦いの火蓋は落とされました。

右側手前から赤いのぼりが井伊隊。黄色が松平隊。見えにくいですが隣の白いのと黒いのは福島隊。
左側手前から紺色が宇喜多秀家。奥のダブルかくかく三本線は小西行長。開戦地に関わりある武将の旗印に、にやけること請け合いです。

お馴染みの史跡位置図。

もうひしめきあってるんですわ。とにかくそれぞれ近い。すぐ歩けちゃう。遠くにいたら戦えないから当然ですが。この距離感を感じにきた

この芸術味さえ感じられる布陣図を見よ。そして抜け駆けされたり、槍を取られたりとそんな逸話ばかり目立ってしまっている誰かさん

開戦地から笹尾山石田三成陣地ののぼりが見えて喜んでいます。はいはい。

指先に見える白い線が三成陣跡に立っている旗です。右側の福島正則の旗印の後ろにこんもりしているのは島津義弘の陣跡

ぼっちの癖にセルフタイマーまでつかって記念撮影していた不審者は私です。

仕事中には全く見せない全開笑顔(汗で眉毛は全落ち)

⑭私的感動ポイント

・上から関ケ原全景を見渡すのも感激したが、平地で東軍西軍が相対した場所に立ってみると当時の兵士達の緊迫感が味わえる気がする

・大合戦の場所にしては関ケ原は以外とコンパクト。先程通ってきた家康最後の陣よりも、建物が周りに無い分、関ケ原の大きさを体感できる。

スポット情報【関ケ原観光ガイドHPより】

開戦地

⑮北天満山・小西行長陣地 AM10:55

開戦地から100メートル舗装された道を歩くとキリシタン大名として名高い小西行長陣跡です。

学生の頃はなぜだか忘れましたが小西行長が好きで遠藤周作の「鉄の首枷」とか「宿敵」読んでました。
なんでね小西行長が好きだったかというと、確かね、小西行長のことを遠藤周作だったかが「面従腹背の将」とか紹介してて、その生涯を調べてみたら、出生は謎というミステリアス、堺の商人としてのバックボーン、歴史の表に出てきたのは戦国一の悪人宇喜多直家の御用聞き、直家の使いで秀吉の元に行ったら見出されて家臣になった実務系の実力派、と思えば海軍率いてたり、文禄・慶長の役ではバリバリ朝鮮攻めまくったり、その裏で三成と組んで秀吉の命に背こうとしてたり、キリシタン大名になったのも実は利が目的なんじゃないかって言われてて、激動の時代に翻弄されつつ強かな感じが魅力的で、でも最後はキリシタンだから自害できずに三成と一緒に処刑されて、時の教皇は死を悲しんだという話もあって、犬猿の仲と言われた加藤清正は行長の居城を宇土槽として残したとかいう逸話もあってキリシタンVS日蓮宗の壮絶なライバル関係を感じてみたりして……すみません、黙ります。

実質小西隊・宇喜多隊・石田隊・大谷隊しか戦っていなかった西軍。

激闘があった地は驚くほど静か。私の頭の中とは大違い

⑮私的感動ポイント

・推し武将、縁の地に立てて大はしゃぎ

・最近は古代ローマ史に浮気していたが、戦国熱が再び着火。古戦場楽しい。

いや、本当に私的だな…

スポット情報【関ケ原観光ガイドHPより】

小西行長陣跡

⑯南天満山・宇喜多秀家陣跡 AM11:05

杉並木を抜け、実質西軍最大戦力、若きイケメン五大老、宇喜多秀家陣跡に。旗印の漢字が読めません。

「にらむ」かな?宇喜多秀家の肖像画目力あるもんな、とか当日はバカなことを考えていた。「児」の旧字体だそう。どんな意味があるのかな。

陣跡は天満神社境内にあります。とても静かでした。

突然のパノラマ撮影。上手く水平にカメラを動かせない為ガタガタ。もうちょっと上手に写真撮れるようになりたい。

こちらには「浮田」の漢字が使われていますね。

宇喜多か浮田か論争になるところではあるらしいが、秀家が八丈島に流された後、長男系が宇喜多、次男系が浮田を名乗ったとのこと。

関ケ原後、八丈島に流され50年。享年84歳。関ケ原を戦った武将の中でもっとも長く生きた人物です。

八丈島に流され50年。島での生活は苦労の連続で、おにぎりをもらった話とかが残っているそう

⑯私的感動ポイント

・杉並木を抜けていくのが、神聖な雰囲気。お散歩としても良いコース(しかし、一人だとやはりちょっと怖い)

・紺地に白文字の旗印が格好良い。見るときに受けたインパクトが私的一番だった。しかし、読めない。

スポット情報【関ケ原観光ガイドHPより】

宇喜多秀家陣地

無職
無職

区切りの都合で今回はここまで

移動時は怖がってばかりいるな

無職
無職

次回は山登りが始まるからもっと怖かったよ。次回、固き友情!大谷吉継最後の地へ!

【関ケ原観光記事まとめ】

◆第一回

◆第二回

◆第三回

→当記事

◆第四回

◆第五回

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