【20年の念願達成】31歳無職ぼっち歴女が関ケ原古戦場巡りを徒歩制覇した話【第四回】

ぼっち旅行記

こちらの記事の続きです。

https://takacolog.com/traveling-alone/sekigahara-3

前回に引き続き関ケ原観光ガイド様HPより【関ケ原の戦い 史跡巡り】パンフレットを元に見出しを作成しております。

⑰平塚為広碑 AM11:10

数分歩いて、関ケ原のお隣、垂井城主の平塚為広の碑の前に到着です。

垂井町には「たるいのためにゃん」というご当地キャラも存在します。

参考:たるいのためにゃん公式Twitter

大谷吉継の友であった彼は、寡兵ながら大谷隊の一員として小早川秀秋の軍を数度撃退したとか。

女性活動家として有名な平塚らいてう先生のご先祖様だとか。旗に、蝉がいますね。長閑だ。

平塚為広の名前は知らずとも、戦国好きならこの歌を聞いたことがあるのではないでしょうか。

「名のために捨つる命は惜しからじ つひにとまらぬ浮世と思えば」

盟友大谷吉継に送った辞世の歌です。

大谷吉継の返歌を平塚為広はどこで目にしたのでしょうか。

スポット情報【関ケ原観光ガイドHPより】

平塚為広碑

⑱大谷吉継・湯淺五助墓 AM11:20

さて始まるほんのちょっとの山歩き。

動物が怖いので、「いっちに!さんし!」「よいしょ!よいしょ!」と騒がしく歩きます。私のが怖いです。
山を舐めてはダメです。ほんの10分程度なのに怖いです。田舎扱いするなって?相手は生き物です。どこにいるかわかりません。

でも、そんな山歩きの後には。

見えた!!見えたよ!!

思わず駆け出してしまいました。
畏敬の念を以て墓前へ

木々が開けた木漏れ日がさす場所。

友情に殉じた武将、大谷吉継の墓があります。

死を以て義を貫ける人。そんな人がこの世の中に何人いるのでしょうか。

関ケ原合戦で西軍びいきが多いのも、日本人は判官贔屓なのもあるでしょうけど。

三成と吉継の友情話もきっと大きな要因ですよね。

戦後、藤堂家か大谷吉継の墓を建てたという。隣にあるのは大谷吉継が切腹した後に介錯した重臣湯淺五助の墓。420年たった今でも、色鮮やかな花か供えられている。

関ケ原合戦中に唯一自害した武将。

主の首のありかを己の死を以て隠し通した部下。

二人の最期は涙無しには語れません。

歴史の激動の中にあった人全てに安らかな眠りの中にありますように。

そう自然と手を合わせてしまう厳かな空気でした。

吉継と五助の残したものはこの下には無いかもしれないけれど。

義に殉じた二人の魂の安らぎを願って。

ぜひ訪れてほしい場所です。

でも、熊は怖いので一人で来るのはやめましょう。特に歴女の同志の皆さん。

「契りあらば六の巷にまてしばし 遅れ先立つことはありとも」吉継はきっと為広と会えたことでしょう。

⑲大谷吉継陣跡 AM11:35

関ケ原当日は、いの一番に布陣したという大谷吉継。

100万の兵を持たせて指揮をさせてみたい」天才秀吉にそう評された天才吉継はなぜこの場に布陣したのでしょうか。

あいかわらず熊に怯えつつも、恐怖とは違った興奮を胸にまた駆け足で陣跡に向かいます。

足元はこんな感じ。きちんとした靴を履いてこよう。

ありました!ここが吉継が布陣した場所なのですね。

宮上ってそういやなんだろう?義隆となっていますが、義隆と表記されている文書は今のところないらしい。
下手くそなパノラマ再び。今現在は600人の兵が詰めることは難しそうな山道が続いている。右側には……。

吉継は関ケ原の戦いが始まる10日も前から空堀を作る等陣作りを始めたといいます。

こんな山の中の斜面になぜ?その答えは、もう少し先に進むとわかります。

眺望地。そこから見える景色とは?

そう。この大谷吉継の陣の眼前には

この眺めに鳥肌。だって。だって秀秋が松尾山に入ったのは前日だったんですよ。どうして10日前からここに?
当然この場所は布陣図等で知っているが、実際に見るとやはり鳥肌。旗も見える。そんな距離。
味方の10倍以上の大群が布陣していたその場所は、今の長閑な風景とは180度違っていたはずだ。

真正面に松尾山が。

松尾山はそう、関ケ原での裏切りで有名な小早川秀秋の布陣地です。

大谷吉継は三度、三成の挙兵を止めたと言います。

「お前の横柄さから、豊臣家の味方すらも家康に味方する」

「頭はいいが、決断力と勇気はない」

なかなか厳しい物言いです。というかボロクソです。

西軍東軍どちらにも人望があり、賢かった吉継は、周りのことを冷静に理解していたのでしょう。

三成の敗北も家康の力も自分の運命も。

全て理解した上でこの地に来たのでしょう。

当然彼はわかっていました。

小早川秀秋が裏切ることも。

眼前に翻る小早川秀秋の旗。

大谷吉継が見た場所で。

大谷吉継が見た距離で。

松尾山を睨むように見れば。

自ずと乏しい想像力をかき集めて想像しています。

敗北必死の過酷な運命の中で、堂々と死力を尽くして戦い散った武将の最期を。

現代の私達には理解することも実践することも不可能に近い程、義を重んじた武将の人生を。

大谷吉継。義に殉じた武将。

血が冷たくなるような、耳鳴りがするような、鳥肌が立つような。

心の奥底から尊敬の念が沸き起こる。

そんな場所でした。

ここまで来たら行くしかない。松尾山からは何が見えるのか、確かめに。
看板は山を下りた神社の境内にあった。
見つけた!!わずか三行で伝わる大谷吉継のすごさ。

⑰⑱⑲私的感動ポイント。

私の下手な、他人の無粋な言葉は、いらない。

現地で松尾山を睨め。

スポット情報【関ケ原観光ガイドHPより】

大谷吉継墓・湯淺五助墓

大谷吉継陣跡

無職
無職

以上大谷吉継編でした!大谷吉継の人生や逸話を知っていると本当に鳥肌が止まらない場所だよ。

刑部……。

無職
無職

大谷吉継の生き様はこれからも永遠に感動と尊敬を後世に与え続けるはずだよ!

うむ。

無職
無職

さあ、次回は、まさかの往復80分登山!ふざけんなよ!裏切りの秀秋!をお送りするよ!

【関ケ原観光記事まとめ】

◆第一回

◆第二回

◆第三回

◆第四回

→当記事

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