【20年の念願達成】31歳無職ぼっち歴女が関ケ原古戦場巡りを徒歩制覇した話【第五回】

ぼっち旅行記

こちらの記事の続きです。

前回に引き続き関ケ原観光ガイド様HPより【関ケ原の戦い 史跡巡り】パンフレットを元に見出しを作成しております。

⑳脇坂安治陣跡 AM11:50

さて、お次は少々歩いて、賤ケ岳の七本槍。脇坂安治陣跡に向かいます。

大谷陣跡から下ると旧中山道。関ケ原は中山道・北国街道・伊勢街道が交わる地。
少し道から外れた場所に陣跡がある

関ケ原の裏切者と言えば、小早川秀秋ばかりが有名ですが、こちらのお方も裏切り組の一人。

元々東軍につきたかった武将の一人。寝返りも事前に連絡していた為、戦後はきっちり領土を安堵され、幕末まで存在しています。

小早川軍を数度押し返した大谷軍も、「脇坂安治・朽木元綱・小川祐忠・赤座直保」の4隊の続けての裏切りに、遂に壊滅してしまったのです。

さあ!脇坂安治どーこだ!
『日本戦史関ヶ原役』に拠る関ヶ原布陣図(慶長5年9月15日午前8時前) 
著作者:白峰旬「関ヶ原の戦いの布陣図に関する考察」CC 表示-継承 3.0  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E6%9C%AC%E6%88%A6%E3%81%AE%E9%85%8D%E7%BD%AE#%E3%80%8E%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%88%A6%E5%8F%B2_%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E5%BD%B9%E3%80%8F%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%B8%83%E9%99%A3 より

誰もが大谷吉継のような友情がある訳ではありません。

他の東軍外様大名の行く末と比べると、脇坂安治の行いを咎めることはできないでしょう。

大谷吉継の生き方も。脇坂安治の生き方も。何が正しいかは歴史でも決められないのかも。

スポット情報【関ケ原観光ガイドHPより】

脇坂安治陣跡

㉑松尾山・小早川秀秋陣跡

AM11:55 登山開始

さあ!行きますよ!松尾山!!

地図を見たときは往復80分!無理!っと思っていましたが、関ケ原古戦場の魅力に浮かされ、ぼっち登山に挑みます。

うん。中ボス感。なかなか楽しみ。左側のガードレール下に座っている奥様に「あんた本当に一人で行くの?」と心配された
松尾山の標高は293メートル。
ちなみに先ほどの奥様に誰か登って行ったか聞いたら「おじさんが一人登って行ったよ」とのこと。誰にも会いませんでしたが。
登らなくても済むように、登山口の前に解説看板が設置されています。この情けない顔の肖像画よ…。
でも「違い鎌」の家紋や黄色の旗印とか、色々かっこいんだよね。
東京国立博物館で陣羽織の本物見ましたが、めっちゃかっこよかったです。まだ18歳だったんだもんね。呑気にお洒落していい年頃なのに。
杖が設置されています。ありがたや。ちなみにこちらは山の木折り防止の為なんだそう。
さあ!行くぞ!と己を鼓舞しながら入山です。
途中まではこんな感じで整備されていて、スキップしながらでも進めます
もくもくと進むこと数十分。あ、あの黄色は…!!

PM12:25 松尾山頂上・小早川秀秋陣跡到着!

30分くらいで登りました!ぼっちで歩く山道が怖くて、かなり急いで登りました!

登頂してご満悦。マスクなんてしてられません。
この旗が、向かいの大谷陣跡から見えたから来ちゃったんだよなー。

天下分け目の戦場の全てを、見下ろせる場所。

この距離じゃあ、有名な「問鉄砲」はわかんなかったんじゃないかな。

遠くでパチパチしてるなあ、ぐらいしか音聞こえないんじゃない?

実際に合戦を想像しながら、秀秋の目線で俯瞰してみます。

おお!笹尾山も!決戦地も!大谷陣地も!西軍東軍それぞれの陣跡も全て見えます!
そして今にも雨が降り出しそう…。

松尾山城も遺構がよく残っているそうですが、奥まで一人で行くのが怖くて、あまり見ませんでした。

今度はクマよけスプレーでも持ってかないとかな。

頂上の看板。下の内容が同じかと思いきや、重要部分は重複しながらも、きちんと内容が違う

それにしても不思議なんだが、1万人もの大群がこんな木々の中をくだって攻めていけるものかなあ?

私みたいな間抜けは、鎧と槍とでバランス崩してすっころびそう。

大谷隊を壊滅させたのだから、相当な勢いはあったのだろうけど。

山の上から下る時に、実際どれくらいの統率でどれくらいのスピードなのか、想像もつきませんでした。

登ってきた道が中央上部に少しだけ見える。まさか関ケ原の時は、山道を整列して、少しずつ降りていった訳でもあるまいし。どんな勢いで大谷隊に攻めかかったのかは謎。

PM13:00 無事に下山!

さあ、可愛らしい看板に見送られながら下山開始です。

松尾山山頂まで240Mを示す看板の裏面。表面では「頑張って!」と励ましてくれる。

下山時は、戦の時に山の上に布陣した軍がどうやって降りるのか?

馬は坂道は降らないというけど、小早川秀秋も歩いて降りたのか?

いや、でも源義経は鵯越の逆落としで急坂下ったとかいう話があったような…

そんなことを悶々と考えていたら、気が付けば山を降りていました。

いやー。帰ってきた時は正直ほっとしました。ぼっちで山に入る時はいつもそうです。ずっと握りしめていた山杖ともお別れ。

裏切り者の視線を見てやるわ!!ぐらいの気持ちで乗り込んでいった松尾山。

実際に登ってみると、家康の問鉄砲に疑問を感じたり、大軍が山を降りる時のスピード感が気になったり。

今まで、思いつきもしなかったことが、実際に見た距離や高さから色々浮かんできます。

他の人は、実際の地で何を感じるんだろう?

ぼっち旅は大好きなのですが、歴史散策をする友人が欲しいなと、ふと思ったのでした。

⑳・㉑私的感動ポイント

・大谷吉継の後に脇坂安治の陣に来ると、二人の関ケ原一日の過ごし方の正反対さについて考えてしまう。友に殉じて切腹。裏切りに乗じて裏切ってお家存続。生き方を決めるのは、自分次第。

松尾山に登ると充実感が半端ない。来てやったぜ、おらぁ!!と登山の疲れもぶっ飛びます。

・関ケ原古戦場記念館展望台・丸山烽火場・笹尾山。関ケ原を見渡せる場所はどこも満足感が高い。どの場所でも武将になりきって関ケ原の眺めを楽しめる。勝敗の行く末を握った若き武将の視点。どこよりも高いのもあるが、やはり眺めが違う。登りましょう!!歴女の同志は複数人でね!

スポット情報【関ケ原観光ガイドHPより】

松尾山・小早川秀秋陣跡

㉒福島正則陣跡 PM13:00

さあ無事に登山も終え、続いては、先陣を掠め取られた誰かさんの陣跡にGO!

そんな風に揶揄していたからでしょうか。迷いました

曲がるところ間違えたんでしょうね。色々うろうろして、最終的には通りかかりのおじさまに助けを求めて、ようやく到着しました。

登山口から10分ほどの距離なはずなのに、3倍の時間が…。

やっと着いた!春日神社境内に陣跡はあります。それにしても立派な杉!

こちらの杉の巨木は、【月見 宮大杉 (つきみのみやおおすぎ)】

樹齢はなんと800年。ん?ということは!関ケ原合戦の目撃者なんですね。

なんと【関ケ原合戦図屏風】にも描かれているとか!さっそく探してみましょう!

月見宮大杉探してみた。おそらく赤丸の部分?ちなみに星形で囲っているのは、我らがヒーロー、福島正則です。笹背負って可児才蔵もいますね。
関ヶ原合戦屏風 狩野貞信画 パブリックドメイン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 より

関ケ原合戦図(井伊家伝来資料)は彦根城博物館の収蔵品ページが見やすいので、もっと詳しく眺めたい方はそちらもどうぞ!

後から歴史を見れば、武働きは冴えるものの、散々利用されて、最後は改易されてと、猪突猛進なイメージ。
でも、人間は感情の生き物です。憎たらしい三成を嫌い、老獪な家康に翻弄され、それでも生死隣り合わせの戦国の世を戦い続けた猛将を誰が馬鹿にできるでしょうか。

㉒私的感動ポイント

・住宅街を抜けると、ふっと表れる、福島正則の旗。ここは歴史の町【関ケ原】

・そびえる大樹は関ケ原合戦の生き証人。

当日は樹の幹に手を当てて、家に帰ってからは「関ケ原合戦図」で大樹を探しながら。何度も関ケ原を楽しむことができる。

スポット情報【関ケ原観光ガイドHPより】

福島正則陣跡

無職
無職

さあ、関ケ原巡りも後少し!正直松尾山降りた辺りから、結構疲れていたよ

体力無い癖にかなりハイペースで松尾山登り降りしたからな

無職
無職

歴史散策には、一に興味、二に体力、三に予備知識が重要だと思い知ったよ。

次回!楽しかった関ケ原巡りの終わりの地

【関ケ原観光記事まとめ】

◆第一回

◆第二回

◆第三回

◆第四回

◆第五回

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